人はすぐに誰かを見て、自分より劣っているか優れているかで判断したがる。

酒の場では、誰かの話題を話に持ち出して、その話題をアテに酒を飲んで談笑するのが好きだ。

誰かのミスを心の中で他人事のようにヒソヒソと喜ぶ人もいれば、話のネタとしてベラベラと話す人もいる。

気づけば、他人ばかりに意識が向き、自分自身に目をそらして、自分自身を見つめることさえしない。

そういう人は大抵自分の意思で動くのではなく、周りの行動を伺い、自分も置いてかれないようにいしがみついて行動している。

要するに、周りはAだから。みんなAをしているから。

と常に大多数の意見に紛れ込んでいる。

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《この記事を書いたひと》

名前;テツヤ 高校を卒業して、東欧ラトビアでサッカー選手としてのキャリアをスタートし、
その後オーストラリアで2年間プレーした後現役を引退。
引退後は、セカンドキャリアとしてシステムエンジニアとして転職に成功。

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人と同じが安心する。

人はそもそも誰かと同じであることが心の安定剤になっている。

誰かと意見が同じであれば共感して安心する。

逆に言えば、周りと違う意見であれば、自分は人とは違うことを考えていることに対して不安に思う。

世の中に溢れるニュースや出来事に対しても、自分はAだと思っていても周りがBであれば、いつの間にかBの意見になっていたりする。

周りに合わせて軍隊の行進で自分だけ足並みがズレそうになって揃えようとするように、自分の意見をすぐに周りと同じようにしたがる。

もちろん道徳的な考え方(赤信号は止まる。お金を払って物を買う。など)は周りと同じでなければいけないことは、当たり前なのでそこは理解しておいて欲しい。

そもそもみんなと同じであることに対して安心する。集団から外れないように意識する。

というのは、心理学では「同調効果」というらしい。

周りと同意見であることを疑うべき

みんながAの意見だから自分もAにしよう。というのは一度考え直すことも大事である。

例えば、コ○ナウイルス対策でみんなが打っているワ○チンは、果たして安全なものなのか?

良い大学に出て、安定した企業に就職するというのは、果たして安定した生活を手にいれられるのか?

毎日週5日7時間を働くのは、当たり前なのか?

些細なことでもいいので、周りを見渡したときに、ふと疑問に思うことは大事である。

そこから自分なりに調べて自分の意志で判断すること。

周りがAだから自分もAなどの抽象すぎる意見で自分を振り回していると、どんどん自分の本音とは遠のき、自分らしさを失ってしまう。

カジノのように、大多数の意見が少数意見に覆されることだってあるように、みんな同じが正解ではないという前提で物事を判断し、物事を自分なりに調べて自分の意思で判断するようにすべきである。

他人の意見に反対しない

自分と違う意見を持つ人に対して、自分の意見を押し付けることはしないようにする。

また、前提として自分の意見が正しいということはないと理解しておくと、自然と相手の意見も受け入れることができ、相手が違う意見であることで懐疑的にならず、相手に対して、こうして欲しいと主張を押し付けることもなくなる。

また、自分と相手が異なる意見を持っていることでいちいち闘う事なく、無駄なエネルギーを消費しないで済む。

そもそも他人を無理やり変えようとすること自体が余計なお節介であり、乱暴な行動であることを理解しておくべきである。

子どもの時に「嫌いなものも食べなさい!」とか「早く宿題をしなさい!」と親に口酸っぱく言われてきたと思うが、その時の感情はどうだっただろう?

恐らく「うるさいなー」と心の中で思っていたと思う。

なぜか人は、誰から強制されることを嫌がるし素直にそうしようって思えない。

しかし、何か自分の憧れややりたいことが見つかった時は、自主的に自分を変えようと行動するようになる。

要するに人は、強制から行動するのではなく、刺激によって行動する。

自分がどうありたいかを考える

周りがどうであるとか、あの人がこうだからではなく、

自分がどうありたいかを考えて行動することが最も大事ではないか?

自分のことを理解していない、自分自身と向き合い自分の人生に本気で生きていないから、

他人の行動が目につき、意見が違うものや自分と違う行動をする者に対して、いちいち目がいく。

まずは他人を意識する前に、自分自身と向き合い、見つめ直すことが先行である。

自分を知る。

自分がどうなりたいかを考える。

自分は何が得意で、何が苦手か?

何ができて、何ができないか?

何が好きで、何が嫌いか?

何をしている時が楽しくて、何をしている時が苦痛か?

とにかく自分のことを思い返して箇条書きで紙に書き出してみる。

すると、自分はどういう特徴があるのかが分かる。

そして、自分自身がどういう人間であるかを知ることができ、もっとこうなりたいという目標を立てると、どんどん自分を知ることに興味が湧いてくる。

人はみんな違ってみんな良い。

人それぞれに得意なことがあれば、苦手なことがある。

また、得意不得意があってこそ自分の特徴である。

自分だけが出せる色を自分だけ違う色であることに不安に思わず、自分らしい色をわざと周りとおなじ色にしようと濁したり、無理やり明るくしたりせず、今の自分の色を大切にするべきである。

自分の成長に集中する

人にはそれぞれ成長スピードが異なり、物覚えが早い人がいれば遅い人もいる。

すぐに結果を出せる人もいれば、しばらくしてから結果が出る人もいる。

人には得意不得意があるにも関わらず、僕らは学生の頃から嫌いな数学や苦手な英語の授業を受けさせられ、常に周りと競わせるよう点数で”できるやつ””できないやつ”と区別化されてきた。

また、社会に出るとさらに面談・査定などがあり、自分を周りと比較されてどうなのかを判断される。

要するに、僕らは教育や社会の中で「誰かと比較する」癖をつけさせられてきたのだ。

だから、自分が周りを見た時にペースが遅いと焦りが出るし、周りより自分の方がペースが早いと優越感を感じる。

ウサギとカメのように、亀が遅いことに対して安心をし、自分のペース配分を緩めて優越感に浸り、逆にカメが迫ってくると焦ってペースを上げる。

周りの速度に対して、自分をコントロールして振り回しているということになる。

要するに、自分の行動・感情は自分自身に主導権はなく、周囲に主導権を譲渡している。

本来どうあるべきなのか?

僕らは自分自身で人生の生きる目的を見つけ出し、自分で設定した人生のテーマに沿って日々を過ごすべきではないか?

周りがどうであるとか、自分の方が…とかで自分のいる位置を確認する必要はないのではないか?

自分自身は自分の目標によって行動し、自分の行動の主導権を握るべきである。

誰かと今の自分を比較するのではなく、

今の自分と過去の自分と比較して成長しているか、今の自分と未来の自分とを比較した時にどう成長していたいかを常時考える。

自分の物差しは、自分の過去・未来と測るべきであって、決して周りと比較して測るべきでない。

自分がどうあるべきか、どうなりたいかにだけ集中して行動する。

まとめ

僕たちは環境の中で生活し、環境の中で影響を受けて人格が形成される。

もはや周りの目を気にしないで生きることは難しいことでもある。

時には、誰かのために自分を犠牲にしないといけないことだってあるし、逆に誰かに助けれることだってある。

周りと自分自身を切り離すことは決してできない。

ただ、自分の周りにいる人は自分で選択ができ、環境だって自分自身の選択で変えることができる。

環境によって人は自然と人格が形成されるのであれば、自分が今いる環境はどうなのか?

今いる環境は自分が属していて、自分が理想に向かうために妨げになっていないか?

自分がどうなりたいか、自分がどうありたいかを考えて、属する環境は変化しなければいけない。

環境次第で、時には自分を理想とは真逆の方向へ変化させられたり、自分を理想へと導いてくれたりする。

また、自分がどうなりたいかがはっきりしていないのであれば、とにかく気になったことをしてみたり、気になった本を読んでみたり、気になった人に会ってみたり行動をしてみるべきである。

自分の頭は過去の自分が選択してきた情報しかないのだから、外的刺激から新たな刺激を加えて脳を活性させないと、自分が何に興味があってどうなりたいかなんて分からない。

とにかく自分を知ること。外的刺激を加えて自分のリアクションをよく観察すること

今回のまとめは以下。

おさらい
・周りと自分を比較するのではなく、自分の過去と今の成長を比較する。

・自分がどうなりたいかという理想を持ち、理想に近づくための行動に集中する。

・自分自身に興味を持ち、自分がどういう人間なのかを知ること。

・周りと自分の意見が違う時、不安に思う必要はない。周りに意見を合わせるのでなく自分で選択した意見に自信を持つべき。

他人と比較せず、自分らしく自分の成長に喜びを感じ、自分のペースに前に進む。

あなたの明日を生きるアクセントになりますように。

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